はんざかいのせきれつ・おさかいいし
この石列は、藩境石とも言い伝えられています。江戸時代のこのエリアは小保地区は柳河藩、榎津地区は久留米藩に属し、宿場や港町として栄えていました。この石列は藩境に位置し、現在、石柱は28本残っています。石柱は石質や大きさが異なっていますが同じ間隔で2箇所に穴があけられています。この穴には横木が通され、馬をつないでいたと言われています。 藩境と馬継所をかねた全国的にも特異な施設で、小保・榎津地区のまちなみの象徴ともいえます。大川市指定有形文化財。
江戸時代、藩を行き来するのは関所が設けられるほど、厳格な境界が存在しました。しかし、柳河藩の小保が、久留米藩の榎津は、御堺江湖と石列(御境石)を境界として、特異な藩境の町が形成されていました。
小保には、旅客を宿泊させ人馬継立の設備を有する宿駅の機能があり、この石列に貫(横木)を通して馬を繋いでいたといわれています。御石列が作られた年代は不明ですが、文化8年(1812年)に測量のため、この地に立ち寄った伊能忠敬の測量日記に「右八幡宮、左側 久留米柳河界石垣」とあります。この他、天明6年(1786年)の「小保町絵図」の中に描かれており、18世紀中頃には石列があったことがわかっています。
大川市指定有形文化財。